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執筆者の写真三宅まこと

ハラスメントに関して考えてみました(その1)



 私が学校を出て、社会人になったのは今から31年前の1987年、昭和62年のこと。

男女雇用機会均等法は、その1年前の1986年、昭和61年4月に施行されました。

正確には「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」と言います。法施行により、事業主に対しては新卒採用といった雇用における募集・採用・配置・昇進などについて女性を男性と均等に扱う「努力義務」が課せられました。当時の報道で賑わしていたのが「一般職」「総合職」という言葉です。卒業を控えた学生だった私は、「これからの時代、女性も管理職になる道が拓けた。」と先輩から教えられました。

 私が会社に入った当時、当然ではありますが新卒「総合職」の女性といえども、まだ駆け出しのペーペーでした。一方、職場には、お局さんと言われる庶務的なお仕事をなさる女性がいました。今の時代、お局さんという表現はハラスメントに抵触するのかもしれません。しかしながら当時は内心は嫌だったとしても、それに関して異論を挟む人はいませんでした。私は庶務のお姉さま方から伝票の書き方とかイロハのイを叩き込まれました。

 時はバブルの前夜。職場旅行やゴルフコンペも毎月のように行われていましたし、そうした行事は新卒社会人にとっては、クライアントとの仕事の段取りを覚える重要な仕事でした。宴会では、駆け出しの男子は上司からのお酒を拒否できるような時代でもありませんでしたし、若い女子はチヤホヤされる、それが世の中の空気、そんな時代でもありました。

 それから11年が経過した1997年、平成9年10月に施行された改正法の特徴は、雇用における募集・採用、配置・昇進について、従前では、事業主に対して「努力目標」にとどまっていたものが、「禁止規定」とされました。それを怠った事業主には「企業名の公表」という制裁も課せられるようになりました。また、セクシャルハラスメント対策として、女性労働者に対して事業主の配慮義務が謳われました。

 当時の空気、世の中に強い女性が増えてきたように感じていました。お取引先担当者にも女性の方が大勢います。いつのまにか30代に突入した私の世代は会社でも中堅と言われるようになっていました。時代が変わりました。

 10年経過した2007年4月1日施行の改正法が現行法です。その性格は、均等法から差別禁止法へと転換したことにあります。それまで雇用や教育、昇進等の性差別の禁止は女性を対象としたものですが、現行法では男女を問わずとされました。その流れで、セクシャルハラスメント対策も、女性労働者に対する事業主の配慮義務から、男女労働者を対象とした措置義務へ変わります。

 私の世代は40代半ば、多くの管理職が誕生していました。組織としては、たくさんの部下を抱えた女性の管理職も一般的、そんな時代です。時代は大きく変わりました。

 本日は2018年、平成30年です。私の職場は民間企業から市議会に変わり、もうすぐ54歳になろうとしています。そんな私が男女雇用機会均等法の変遷と時代背景を振り返ってきた大きな理由は、ハラスメントの下にあるセクシャルハラスメントという概念の準拠法が男女雇用機会均等法となるからです。国の法律や動きは時代に合わせて変遷していきます。あるいは変遷していかなくてはいけない、という方が正しいのかもしれません。

 均等法の変遷をたどると、一回目の改正で事業主に対して女性へのセクシャルハラスメント配慮義務が課せられ、二回目の改正で男女問わず措置義務が課せられるようになりました。今から32年前に新卒で総合職入社した女性も50代の半ばを迎えているはずです。当時、駆け出しのペーペーだった女性も、今では経営に携わっていることも珍しくない、そんな時代になりました。一方、女性管理職のマネジマントで働く男性社員も珍しくありません。32年前と時代が明らかに違っています。男女を問わずハラスメントは世代間を超えて日本社会全体で認識しなくてはいけない問題になりました。

 さて、市議会議員としての私はこんなことを考えています。大きく三つのことです。

 (この続きは、また改めて・・・・)


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